楽しい教習

運転席でハンドルを握る教習生がニコニコしている。


理由を聞くと車の運転が楽しくて教習に来るのが待ち遠しいほどとのこと。

自分が教習所に通っていた頃、正直、めんどくさいという気持ちが先行していたことを覚えている。

元来、努力という言葉はあまり好きではない。それは何故かというと、努力という感覚をもってして行う行為は自分がどこかで無理をしているようにしか思えてならないからだ。

例えば、イチローやメッシのような一流のスポーツ選手が努力という感覚で野球やサッカーをやってきただろうか?

勿論、日々鍛錬の賜物であるには違いないが、きっと苦痛に苦痛を重ね努力してきましたとはならないだろう。

怒りの葡萄の作者、ジョン・スタインベックの言葉に
“天才とは蝶を追っていつのまにか山の頂上に登っている少年である” とある。

天才かどうかは扠置いて、将来、彼女はきっと良いドライバーになるに違いないと助手席で感じとれるほど意気揚々と運転していた。

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