そういうゲーム。
雨ですね。
いいけど。
僕です。
最近どうも話題が無いです。
と言いながら、息も絶え絶えに、続けています。
唐突ですが、どうでもいい話を。
これ、見たことある人も多いと思うのですが、
相撲 -THE SUMO-
その名の通り、相撲です。 ひねりゼロ。
100円を入れて、この死んだ魚のような目をした力士と押し合う。というゲーム。
懐かしいです。
やったものです。押し合ったものです。
そして、真っ赤な顔して押し合った末にゼーゼー息をしながら思う気持ちはいつも同じ。
「なんという虚しさ・・・。」
なんだってこんなゲームに夢中になっていたのか。
今となっては知る由もありませんが、とりあえず横綱が、まるで重機のように容赦なく強かった事は覚えています。
しかも目が合わないんだ。 上目遣い。
以下、懐かしくなったら死亡。
まあそんな話です。
では、マタ。
アメリカから入ってきたのか。。
小規模なゲーセンやスーパー内のゲームコーナーが姿を消しつつある昨今、
この手のゲーム筐体は懐かしいですね。
ポケットの中のメダルをジャラジャラ言わせながら
腕相撲マシンの理不尽な強さに憤ったり、バスケシュートゲームに興じたものでした。
地方のうら寂れたデパートの屋上に行けばまだありますよね。
私はそれらのゲームには目もくれず、ゲームコーナーの横にある人工芝の広場にて芝の間に挟まったBB弾を拾うのに熱中していたのを思い出しました。
ホッピンアイはなぜ小学生の心をあれほど掴み得たんでしょうかw
>神田うのの存在意義様
ありがとうございます。
あの大きさの筐体は維持費など大変なのかもしれませんが、古き良き風景が無くなって行くのは一抹の寂しさがありますね。
しかし、そんな事よりも、お名前に並々ならぬ憤りを察します。
僭越ながら、神田うのの存在意義は、『パンスト売り』と『自分の結婚式を一方的に供給する好事家』という2点に尽きると僕は考えます。
>トスカーナ様
ありがとうございます。
BB弾を拾うという意味の無い行為、確かに僕もやっていた記憶があります。
しかも僕の場合、その弾を込める肝心の『銃』を持っていなかったという、今となっては何故弾を集めたのか当時の自分の胸ぐらを掴んで問いただしてやりたい心境です。
ホッピンアイにおいては、机や床の上で飛ばすだけでは飽き足らず、自分の額に吸い付けて遊んでいたら、うっ血して『赤い千昌夫』のようになり、学校を休んだ事を思い出しました。
ヤクルトの飲み口も強く吸引して口回りをうっ血させた経験があります。
思いがけず、自分の悲しい青春時代を振り返り、ちょっぴり絶望感に苛まれています。